ゲームがリアルなグラフィックとなり、演技をもこなすようになっているゲームのキャラクター達。もはや映画と違いが
少しずつ無くなりつつあるのかも知れませんが、海外ゲームブログ「Kotaku」がゲームキャラクターとリアルキャラクターの
違いについて記事にしています。


このことをテーマとして記事を書いた「Lisa Foiles」氏は「Kotaku」の記者ではなく、ゲスト的な登場で記事を
投稿しています。ゲームが好きな一方で、テレビでの演技を仕事とした経歴を持つ立場。リアルキャラクターと
ゲームキャラクター、両方のあり方を知った上での記述となったようです。

「Kotaku - Treading The Boards: Game Characters Vs. Movie Actors」を意訳。
[記者の私事や余談がやや多い為、要所のみ]


ゲームファンとして、ゲームをプレイするだけでなく、ゲームの歴史、ストーリー、音楽、声の演技などが私は好きで、
他のゲーマー達と数時間おしゃべりをしたりもする。女優を最優先とし、ゲーマーであることがその次だったとしても、
ゲームで私が最も好きなものとはプレーヤーを心から感情的にさせるゲームのキャラクターだったりします。


映画でのキャラクターはリアル、生きた俳優によって役を演じますが、その一方で生きている俳優によって
声を出すゲームキャラクターは単にコンピュータの創作物と言えますね。今あるグラフィック技術は
不気味の谷現象」をもてあそび、それと同じように良くなっていく声の演技。ゲームのキャラクター達は
映画での俳優たちの同じように視聴者に対して、強い感情を思わせるような演技力を持っているのでしょうか?


映画シアターでのちょっとした旅よりもゲームの方が多くの時間を用い、コンピューターで作られた
主演キャラクターに多くの時間を用いれば用いるほど、そのキャラクターとあなたは一つになって、
感情移入の違和感を乗り切ったあと、あなたのゲームキャラクターから目に見えない一体感を
感じることが出来るはず。


2時間の映画を見た後はその登場したキャラクター達にどこか親しみを感じるけれども、本当に彼らのことを
分かりきったとはちょっと言えないし、映画を見た後の数日間大ヒットした映画で主役俳優、女優のことに
何か言うことは私の場合まずないですね。デビルメイクライ4のネロ、ダンテやアンチャーテッドのネイトの
7時間に渡る旅での思いをとどめることに時間を使うことで、見るのことに代わって勝利を私は感じ合いました。

いくつかの時間かけてゲームが終わったとき、楽しかったキャラクター達との冒険が終わったことを感じ、
心が空っぽになったような気持ちが残るんです。こうして、映画よりもずっとゲームのキャラクター達とプレイヤーは
理解し合えたと言えるはず。


その一方で、生きて、息をするこちら側にいる俳優達は映画の終盤に近づくと観客たちの感情を盛り上げる。
映画カサブランカの悲劇のロマンスから、プライベート・ライアンの最後の痛ましいパフォーマンスまで、
役柄を素晴らしくこなすことで笑わせては、泣かせて、観客から反響を呼ぶ起こすものです。こういった理由で、
「シンプルが一番だ」と言うような老いた人たちが出てくるのでしょうね。

探検し、他のキャラクターと会話し、あなたのキャラクターが言ったことを選択するといったゲームとは異なり、
それ以上でもなく、それ以下でもなく、ストーリーを理解するためのキャラクター達の情報を映画とは観客に
しっかり提供するんです。あとはそこにイマジネーションが残ります。


私が13歳だったころ、演技の先生は私にとって簡単すぎるコメディシーンの演技ではなく、泣くシーンを求めてきました。
数カ月のキツイ努力に先生が後ろに振り返ったときにはまぶたをつねるといったズルさえした事があり、結局は
バレてしまうありさま。けれども、ある日それが分かったの。

泣く準備をするというのはちょっとした間で自分が体験した悲しいことを思い、青ざめた顔をさせるような、
背筋に寒気を走らせるさせるような気持ちに持って行くこと。撮影カメラは私の涙だけでなく、私の目の奥にある痛み、
不機嫌なサブテキスト、苦悩する気持ちをも取らえる。そうした中、私は視聴者と一緒にになっていきました。


デジタルキャラクターがどれほどのグラフィックになろうとも、そういった心理状態をとらえること、経験を描くことは
できません。リアルのみ、生きた俳優が出来る。声優にそういった力があっても、コンピューターの創造物を通してでの
声の演技では限定されるでしょう。こういったことから、ゲームキャラクターよりも映画のリアルなキャラクターの方が
人とより気持ちが分かり合うと言えますね。


リアルなキャラクターである俳優、女優にはリアルな過去が、だからこそ観客に映画は気持ちが通じ。
そして、ゲームキャラクターがストーリーを作っていくことでゲームはプレイヤーと理解しあう。

結局、ゲームは間違いなくエンターテイメント。無限ロケットランチャーなんか持てたりしたら、感情的な演技なんかに
気にする人なんて誰かいるのかな?


以下、この記事についてコメント意訳。


phantomzxro
映画とゲームは違う方法で感動的にさせるというのは俺も同意。


addik
この記事にも書かれていることだけど、ゲームキャラクターと僕らの気持ちを分かり合えるのは彼らと一緒に
なり始めるからって言うのは分かるね。

大神の最後のボスとの戦いの前のカットシーンで泣いたのはこれだった。二人の変なキャラクターを目にする
だろうけど、初めは仲が悪くて、しだいに深いフレンドシップで結ばれるようになるの。本当に感動させられたよ。


lineypi
ピクサー映画を考えなかったら、その通りなんだけどね・・・
あれリアルなキャラクターいないし、目の中に生きた経験なんてないよな。
あと、劇場内で、俺の周りにいた人がすすり泣いていたことも考えちゃったよ。

アニメーション化されたキャラクターと同じように、僕にとってだけど、リアルなキャラクターが感情的に
させるなんて思わないなあ。

Lisaには申し訳ないけどこの記事は間違ってるね。アニメーターは十分な良さを提供するし、アニメイト化された
キャラクターは観客とより結びつくように作ることなんて可能だよ。ムービーアニメーターと同じように
ゲームアニメーターが成功しないのは何故、と言った記事にすべきだったんじゃないかな。


Outrider
良い記事なんだろうけど同意できないな。何故、今あるゲームキャラクターが観客から同じような反応を引こ起こせない
のかは分かるんだけど、コンピューターキャラクターが視聴者から感動的な反応を得れるのをピクサームービーで
見ることが出来るよ。


Banana
デジタルキャラクターがパーフェクトに感情を伝えるやつなら、ゲームなら二つ、アニメイト映画ならたくさん
思いつくんだがな。コンピューターが気持ちを取り入れるなんて出来ないが、アニメーターなら出来るだろ。


puresewas1de
映画キャラクターの問題として俳優自身にあったりする。映画トゥームレイダーの主役ララ・クロフトのことを考えると
見られたもんじゃない。自分が見たもの全部がアンジェリーナ・ジョリーだったから。自分がキャラクターをどう見るか、
俳優・女優の過去によって影響を与えるし、その影響がキャラの特徴を台無しにするんだよな。
ゲームキャラクターは何も無い状態で参加してくるよ。登場するゲームキャラクターがどうなのか分かるまで
どうお互い影響し合い、経験したりする事になるんだよね。


excel_excel
この記事は的を得てると思うが、結局は人しだいだな。
気持ちが通じ合う、感情的になるっていうのなら、メタルギアソリッド3の最後で感じた。
大統領と握手をするためにホールを歩くスネーク、映画みたいにまさにパワフル。


Zero-D
ゲームキャラクターでよく感動させられる。巧妙な脚本と声優の最高な演技から来るもんだと思うけどね。


syafiqjabar of Mars
よくアニメーション化されたカットシーンや声優がグッドなら、間違いなく感動を引き起こせる。
質の良いものを作って成功しているピクサーはそういった根拠の一つだな。

ただ、キャラを動かすとなると難しくなるかも。キャラを動かしたり、アクションすることで感動がそれる可能性があるね。
プレイヤーを感動させるポイントを予測するのが難しくなるから。


InfiniteOrange
この記事で信じがたいのは、ファイナルファンタジー10のキャプチャーを使っておきながら、「どれだけグラフィックが
よくなろうとも」なんて言ってることだよ。好きか嫌いかは分からんが、全てをやり遂げ、ヒロインの一番求めてたものが
無くなっていくことに打ちのめされるというエンディングのシーンなんだがな。


Masonvrocks
ファイナルファンタジー10は、ゲームで自分が感じたものとして最も感動したものだよ。とても悲しいエンディングでね。

ただ、これは言っておきたいことなんだけど、古いPS2時代だったから感動しやすかったんだと思うんだよ。
記事を書いたLisaの言うとおり僕たちは「不気味の谷現象」に近づいている。アンチャーテッド2の目は
気持ち悪かったしね。


DocSeuss
映画「アバター」で使った最新グラフィック技術なら、「不気味の谷現象」を克服出来るんじゃないか。


elpuga
記事のことはともかく、俺は映画じゃなくゲームで泣きたいし、登場するキャラクター自身がストーリーを語るのを
見たいね。それと映画とゲームを比べるのには限界があると思うよ。映画はストーリーを述べるのに
いつもグレイトであり続けてる。ビデオゲームはそれにトライすべきだろうね。

キャラクターとストーリーラインの進歩は観客によって変わるもんだと思う。ストーリーがクソかキャラクターが
熱意に乏しいもんだったとしてもゲームは多く売れたんじゃないか。ただゲームプレイがあんまりだったら、
キャラクターやストーリーがグレイトでも厳しいだろうよ。

6 コメント:

匿名 さんのコメント...

アメリカ人の合理主義の徹底ぶりから考えると、いずれは映画もゲームに淘汰される気がするな。
「ゲームで出来ることを映画でやる必要はない」って。

良くも悪くも様式美ってのを理解しない連中だからね。

匿名 さんのコメント...

※1
かつて写真が登場した時、画家は皆廃業だと言われたという話がある
しかし結果はNo。肖像画家ですら絶滅はしなかった
映画がゲームに駆逐されるだろうなんて未来予測に俺は賭けたくないね
ついでに言うと当然アメリカ人にも、アメリカ映画にも様式美がある
理解できない人がいるだけでね

匿名 さんのコメント...

絶滅はしないだろうけど、かなり衰退するとは思うよ
2Dアニメみたいに、一度忘れ去られたらもう振り返る人はいないと思う
あくまでもアメリカの大衆レベルの話だけどね

匿名 さんのコメント...

>>1
それはないでしょ
>>2
ディズニーの2Dアニメ出るよ
http://www.youtube.com/watch?v=O8N-kIiELUA

というか衰退してるのは日本の映画ドラマだと思う
アメリカと比べても碌なモノないよね
お笑いやアイドルが演技修行もせずに片手間で出演してるのが現状
脚本からして糞だし。日本は視聴者の方がダメなのか・・

匿名 さんのコメント...

2Dはコストと手間の問題で衰退したってのもあるし、実写はスター俳優目当ての顧客層が大きく見込めるから、そう簡単にはCGに負けないと思う。

ただ、最近の大作映画では既に俳優の存在意義が薄れて来てるし、CG俳優を作るコストが実写俳優のギャラより安く済むようになれば、立場が逆転することも有り得なくはないね。
CGだと本当の意味で唯一無二のキャラクターを作れるし、商品展開もしやすいっていうメリットもある。

匿名 さんのコメント...

まあCGゲーム以上に表現が限定的な媒体ですが、
やはりキャラクターへの感情移入に関してはエロゲが(ry

コメントを投稿